『民主党が障害者団体にとんでもない約束をしてしまった』という記事を読みましたが、以前からこの記事になっている家族が話題になることが多いようです。
このブログのタイトルと合わないと感じる方がいるかも知れませんが、そうでもない部分があると思うので記事にしたいと思います。
障害者が社会的弱者であるという観点からだけで考えれば日本国民として健常者と同様の権利を要求し、社会的な地位や社会的なサービスを受ける事を主張する事は、誤りではないと考えますが、現状、記事になっている方々の主張している内容について、個人的な見解としては、障害者個人個人の様々な状況や状態を本当の意味で理解せず、また、障害者である子供本人に出来ることと出来無いことや、現在の社会的価値感などを教える努力をせずに社会に対して要求を突きつけているように見えてなりません。
障害者である子供本人に出来ることと出来無いことを教えたり、現在の社会的価値感を教えることが残酷だとおっしゃる方がいるかも知れませんが、この事は、必ずしなければならないことだと思いますし成長し社会に出ていく、一人で生きる時が来るまでに必ずしなければならないことです。
これは、子供を持った親の責任であり義務です。
子供を産んで育てている以上、健常者であれ障害者であれしなければならない。
そういうことを蔑ろにして両親もいなくなった時に一人になった障害者の子供はどうなるのでしょうか?
その時に社会が要求した通りの都合のいい社会になっている保証はありませんし、なったとしても何時そうなるのかも判りません。
障害のある子供を産んで育てると決めた時点で親はそうしなくてはいけないはずです。
その様な事を考えることも無く育っている健常者の子供は非常に多くいますが、健常者の子供の親であっても一人になった時に生きていくために必要な知識や社会的価値判断を教えることが必要なのですから。
どうも記事になっている障害者の家族は、その様な事をしているようには見受けられません。
ブログの記事なども読みましたが、学校などに対してまた、学校の生徒に対して要求するべき内容とは思えませんし、自前で看護師を用意するつもりもない。
全ては社会に対して要求するばかり。
障害者に権利があるのであれば、健常者にも権利があります。
もちろんそれぞれに義務もあります。
しかしながら、障害者本人に出来ることと出来無いこともあり、健常者にも同様に出来ることと出来無いことがあります。
既に障害者学級などがあるのにそれを利用することを拒否し、健常者学級に入ることが本当にいいことなのでしょうか?
自分の子供は、障害者学級に入る子供とは違うと言うのでしょうか?
学校の教員や同級生に吸引や人工呼吸器のケアをさせるのは、 健常者の権利を侵すものではないのでしょうか?
公費で障害者の子供の看護師を用意することが、正しい事なのでしょうか?
それらを実現して、障害者の子供に障害者である子供本人に出来ることと出来無いことを教えたり、現在の社会的価値感を教え、本人が一人になった後も正しい価値判断で生きていくことが出来るでしょうか?
疑問は尽きません。
人工呼吸器の付いた家族を在宅でケアしてきた人間としては、自分の子供可愛さに本来考えてしかるべきことや子供本人にしなくてはならないことをもう一度考えなおし考えと行動を改めていただけたらと感じました。
人の考え方は様々で自分の意見は、読む人によっては批判される内容かもしれませんが、同様の意見を持つ方もいらっしゃるようですので敢えて記事にしました。
0 件のコメント:
コメントを投稿